2025年7月3日、世界のサッカーファンに大きな衝撃が走った。
ポルトガル代表であり、イングランド・プレミアリーグの名門リヴァプールFCに所属していた
ディオゴ・ジョタ選手が、弟アンドレ・シルバさんと共に交通事故で亡くなった。享年28歳。
スペイン北西部サモラ県のA-52高速道路にて、彼らが乗っていたランボルギーニが
タイヤのバーストによって制御を失い、道路を外れて炎上したという。
若くしてキャリアを駆け抜け、多くのクラブと代表で輝かしい実績を残したジョタ。
その才能は世界中で高く評価されていた。だが、彼の人生はあまりにも突然に幕を閉じた。
若き才能、ジョタの軌跡
ディオゴ・ジョタ(本名:ディオゴ・ジョゼ・テイシェイラ・ダ・シルバ)は
1996年12月4日、ポルトガルのマッサレロスで生まれた。
幼い頃からサッカーへの情熱を持ち、2005年には地元クラブのゴンディマールでキャリアをスタート。
2013年にパソス・デ・フェレイラでプロ契約を結び、わずか1年後にはトップチームデビューを果たす。
その後は順調にステップアップを重ね、アトレティコ・マドリードに移籍。
出場機会はなかったが、レンタル移籍でポルトやウルヴァーハンプトンに在籍し、
イングランドの舞台で大きく飛躍した。
2020年にリヴァプールへ完全移籍すると、世界的スターが集う中でも存在感を放ち、
公式戦123試合に出場して47得点を挙げた。
2024-25シーズンには、リヴァプールのプレミアリーグ優勝にも大きく貢献。フォワードとしての得点力はもちろん、左右のウイングやセカンドトップ、時には中盤にも入るなど、高い戦術理解とユーティリティ性も評価されていた。
ポルトガル代表でも存在感
ジョタは2019年にポルトガル代表デビューを飾り、通算49試合14ゴールを記録。
2025年にはUEFAネーションズリーグ制覇を成し遂げ、名実ともに欧州屈指のストライカーとしての
地位を確立していた。
クリスティアーノ・ロナウドらとの共演でも輝き、
世代交代が進む中で“次のエース候補”と期待されていた存在でもあった。
突然すぎる別れに、サッカー界は深い悲しみに
ジョタの訃報に対し、世界中のサッカー関係者が追悼の意を表している。
ポルトガル代表の大黒柱であるロナウドは、自身のSNSにて「言葉が出ない。家族に強さと平穏を」と綴り、
代表チームの仲間たちも次々に哀悼の意を表明した。
リヴァプールの監督アーネ・スロットは記者会見で、
「ジョタは、技術的にも人間的にも素晴らしい選手だった。
彼の存在は、チームにとってかけがえのないものだった」と語った。
また、事故の1週間前には長年交際していたパートナー、ルテ・カルドソさんと結婚式を挙げたばかりだったという。2人の間には3人の子どももおり、家庭も仕事も順風満帆だっただけに、その悲しみは計り知れない。
サッカーと“デジタル”の二刀流
意外な側面として知られていたのが、ジョタの“eスポーツ”への関心だ。
彼はサッカーゲーム「FIFA」でトップランカーとしても名を馳せており、
自ら「Diogo Jota Esports」というeスポーツチームを運営していた。
試合の合間にもコントローラーを握るほどの熱中ぶりは、若いファンの共感を集めていた。
このように、ピッチの外でも新しい形の“スター像”を築いていたジョタは、
まさに新時代のフットボーラーと呼ぶにふさわしい存在だった。
永遠のゴールゲッターへ
28歳という若さでの突然の別れは、家族にとっても、チームにとっても、そしてファンにとっても大きな痛手だ。
しかし、彼が残したゴールの数々、仲間との絆、そして笑顔は、これからも色褪せることはないだろう。
サッカー界に多大な影響を与えたディオゴ・ジョタ。
彼の魂は、これからも多くの人々の心の中で生き続ける。
ディオゴ・ジョタ、そして弟アンドレ・シルバのご冥福を、心よりお祈りいたします。